スポーツトレーナを目指す
先輩たちの声

さまざまな競技からスポーツトレーナーを目指す先輩たちのインタビュー。

Interview

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ソフトボール選手からの転身

ケガを乗り越えた経験を活かし選手の気持ちがわかる治療家に

59期生(2014年卒)
川島 美穂さん

[出身]東京都
[尊敬する人]初森裕隆先生(本校臨時講師、Hatsu47接骨院 院長)
[好きなスポーツ選手]矢野謙次 選手(プロ野球)
[最終学歴]体育大学卒
[スポーツの最高実績]大学ソフトボールで全国制覇

「魔法?!」痛みが一瞬で消えた

5歳からリトルリーグで硬式野球をやり始めて、チーム唯一の女子として世界大会にも出場、中学からはソフトボールに転向し、9年間プレイしました。しかし大学在学中に肩を痛めてしまい、ボールが投げられないほどの重症に。選手を続けるためにリハビリとトレーニングに励んでいたとき、「スポーツトレーナー」という仕事を知り、興味を持ちました。
スポーツトレーナーの先生に「手首が痛い」と相談したところ、なんと一瞬で治してくれました。本当に驚いて「これって魔法じゃないの?!」と思ったくらい。その方が、ここ東京柔専で講師をされていた初森先生だったんです。

困っている誰かの力になりたい

プレイができず悩んでいた私がスポーツトレーナーに助けられたように、私も誰か困っている人を助けられるんじゃないか、そんな思いで東京柔専に入学しました。在学中は授業以外の時間に接骨院で働きながら、週に2回母校でトレーナー活動をしていました。もし私が現役の時に今のような知識があれば、もっといいプレイが出来たんじゃないか...という思いから、後輩たちのサポートをしていました。 現在も接骨院で勤務しながら、休みの日には母校でのトレーナー活動を続けています。
スポーツトレーナーとしての勉強は今も欠かさず行っており、研修会や勉強会にも積極的に参加しています。

誰かのために自然と体が動く人、例えば電車で席を譲るとか、車椅子を押すとか、そういう「誰にでもできるけど、やらないこと」を積極的にできる人が、柔道整復師に向いているんじゃないかな。誰かの力になるために、まずは一歩を踏み出しましょう!

陸上選手からの転身

選手のすぐ近くにいて、対処法や情報を与えられる存在になりたい

59期生(2014年卒)
名嘉眞 朝康さん

[出身]東京都
[尊敬する人/好きなスポーツ選手]八幡賢司選手(陸上)
[最終学歴]専門学校卒
[スポーツの最高実績]東日本実業団選手権大会200m優勝、日本選手権出場

柔道整復師なら、急性のケガにも対処できる

高校から陸上を始め、スポーツ専門学校時代は100mや200mのスプリンターとして競技生活を送り、日本選手権にも出場。走ることが楽しくて、休みの日も練習していました。しかし、肉離れが多かったほか背骨の疲労骨折を患い、引退を考えるなかでスポーツトレーナーの道を考えるようになりました。自分と同じような境遇の選手や、身体の痛みに苦しんでいる人に的確な対処法や情報を与えられる存在になりたいと思いました。
はり師や理学療法士も考えましたが、現場で急性のケガにいち早く対処できると考え、柔道整復師の道を選び、東京柔専に入学を決めました。

勉強は大変だけど、楽しさや喜びがある

東京柔専は、先生が初歩からわかりやすく教えてくれるし、夜間部には勉強熱心な生徒が多いので、つられて自分も勉強していました。上級生も、なぜか学校が閉まるまで勉強に付き合ってくれます。
勉強はそれなりに大変ですが、今までスポーツをしてきた経験や知識が自分の中で繋がっていくことが面白いです。「あの時こうしていたら、こうなったかも」という悔しさもありますが、それを今度は、現役の選手たちにいち早く伝えられる喜びがあると思います。現在は接骨院での勤務に加え、スポーツトレーナーを目指す上で得た知識や能力を活かし、地域貢献活動で健康維持・増進の講演会などにも参加しています。スポーツトレーナーとしての能力はトップアスリートから一般の方まで、幅広く活かせます。

ここに来ている人は、どんな経緯にせよ人を治したいと思っていて、人の痛みがわかる優しい人。やりがいのある仕事です。ここで頑張ってみませんか?

アメフト選手からの転身

けがが日常茶飯事のスポーツの世界で、人の役に立ちたいと決心

60期生(2015年卒)
岡本 佑介さん

[出身]神奈川県
[尊敬する人]岩﨑芳久先生(本校教員・大学アメリカンフットボール部チームトレーナー)
[好きなスポーツ選手]野村忠宏選手(柔道)
[最終学歴]私立大学スポーツ系学科卒
[スポーツの最高実績]関東学生フットボール連盟1部リーグブロック5位

一回きりの人生!スポーツトレーナーを目指し東京柔専ヘ

中高6年間は柔道部で主将、大学4年間はアメフト部でオフェンスライン。どちらもケガの多いコンタクトスポーツで、チームメイトの骨折や脱臼などをよく目にしていました。自分も中学の頃から接骨院に通っていたので、「ケガをした人の役に立ちたい」という気持ちに。いろんな人から話を聞き、スポーツトレーナーとして活動していくために、柔道整復師の資格取得を目指しました。
アメフト部のチームトレーナーの岩﨑先生は、東京柔専の先生。そのご縁で推薦をいただき、大学卒業後に東京柔専へ進学。まわりはみんな就職していきましたが、「一回きりの人生なので」と、この道を選びました。

選手のモチベーションを支え、パフォーマンスを高めたい

ここの先生は、柔道整復師であることにプライドを持っているので、臨床の話を聞くたびに、やりがいを感じます。自分もケガをしていたので、試合に出られない選手の気持ちがよくわかる。自暴自棄になる人も多い。選手が復帰するまでのモチベーションを高めつつ、しっかりケガも治せるようなスポーツトレーナーになりたいです。いかに選手のパフォーマンスを高めるか、ケガをしない体を作るか。この仕事は一生勉強。卒業後は大学のアメフト部と提携している接骨院でスポーツトレーナーとして活動します。その大学はアメフトの強豪校。練習・試合を通じて選手から信頼されるスポーツトレーナーを目指します。今はアメフトと関われる環境にワクワクしています。

東京柔専のいいところは、上級生が気軽に勉強を教えてくれるところ。先生も、聞いたら聞いた分だけ返してくれる。学校全体で面倒を見てくれて、勉強しやすい環境です。

サッカー選手からの転身

痛み、悩みを持つ人を笑顔にできる「地元の柔道整復師」を目指す

60期生(2015年卒)
岩間 大輝さん

[出身]埼玉県
[尊敬する人/好きなスポーツ選手]香川真司選手(サッカー)・長友佑都選手(サッカー)
[最終学歴]県立高校卒
[スポーツの最高実績]県大会出場

笑顔になって帰っていく患者さんの姿に感動

小学生からサッカーをはじめ、高校卒業までサッカー一筋。でも、高3の選手権大会を前にアキレス腱を痛め、最後の大会にはメンバー入りできませんでした。
中学の頃からずっと、足首の捻挫や膝、腰の痛みに悩まされていて、高1のときに先輩の紹介で接骨院へ。そこの柔道整復師の先生はいつも笑顔で患者さんに対応していて、そして痛みのある患者さんも、最後は笑顔になって帰っていく。なんてスゴい先生なんだろう、と憧れました。そして柔道整復師はやり甲斐のある、素晴らしい仕事なんだと感じ、以来この道を目指すようになりました。

5回のオープンキャンパスで「ここしかない!」

東京柔専のオープンキャンパスには、高3の時に5回足を運びました。東京柔専は居心地がよく、オープンキャンパスもとても楽しくて「もう一回、もう一回」と。在校生と歓談できる機会もあり、先輩から「授業は毎日楽しいし、わかりやすい」と話を聞き、「僕が学ぶのはここしかない!」と決意しました。何より、学生や先生の笑顔がよかった。
先生にはトップアスリートのスポーツトレーナーをしている方もいて、色々なジャンルの話が聞け、すごく刺激になります。3年間で柔道整復師の素晴らしさを改めて感じ、卒業後は学校附属の杏文接骨院で勤務して経験を積んだ後、夢であるスポーツ外傷・障害に特化した接骨院開業へ前進していきます!

勉強は、大変です。だから、軽い気持ちで入学するとその後辛いかもしれません。でも、先生方はわかるまでしっかり教えてくれるし、仲間同士で助け合える学校です。ここでの学びは、一生の宝になると思います!

バドミントン選手からの転身

輝いている選手を、サポートする人も輝いている!

60期生(2015年卒)
横山 千惠美さん

[出身]東京都
[尊敬する人]自分に影響を与えてくれた人すべて
[好きなスポーツ選手]田児賢一選手・末綱聡子選手・前田美順選手(バドミントン)
[最終学歴]都立高校卒
[スポーツの最高実績]東京都大会ベスト16(個人)、関東大会出場(団体)

私に影響を与えてくれた人たちに、恩返しをしたい

中高の6年間打ち込んだバドミントンは、瞬発力が問われるスポーツ。高校生になり、厳しい練習メニューで自分を追い込むようになると、足首の捻挫や疲労骨折のため、接骨院に通うようになりました。
そんなある日、水泳の北島康介選手が、コンディションが上がった理由を「スポーツトレーナーのおかげ」と語る姿を見て感激。輝いている選手を、サポートしている人も輝いている! いつしか「選手のサポートに回りたい」という気持ちが芽生えました。熱い指導をしてくれた顧問の先生、高い目標を持ち練習に励む仲間や後輩に、スポーツトレーナーになって恩返しをしたいです。

本気だからこそ、東京柔専の夜間部へ

入学前の一番の不安は、勉強についていけるかどうか。それは、学校に何度も足を運び、いろんな先生方に相談するうちに解消。東京柔専の先生は、誰一人として適当な対応をしないし、とても親身でフレンドリー。「自分の夢に最も近づける場所だ」と確信を得て、目的意識の高い社会人経験者が多く集う、夜間部への入学を決めました。在学中は働きながらの勉強で大変でしたが、乗り越えたときの達成感が大きいし、学べることはすごく多いです。
卒業した後もまだまだ学びたいことが沢山。学校で開催されている卒業後の研修会などに参加して、「選手がいつも輝けるサポート」のできるスポーツトレーナーを目指します!

無理だと思う夢でも、あきらめずに一歩を踏み出してみて下さい。全力で応えてくれる先生がいます。生徒も一生懸命で、「自分ひとりじゃない」と感じられます。素敵な柔道整復師を目指して頑張りましょう!

野球選手からの転身

悔しさから志した新たな夢。同じ境遇の選手を助けたい

59期生(2014年卒)
石川 文也さん

[出身]千葉県
[尊敬する人]東京柔専の先生方・研修先の院長先生
[好きなスポーツ選手]松本哲也選手(野球)
[最終学歴]県立高校
[スポーツの最高実績]千葉県大会3回戦

無念のケガが、人生の転機に

中学、高校と野球部でずっとレギュラーでした。特に、野球をやるために進学した高校では、すべての時間を野球に費やしてきました。ところが、高3最後の夏の大会直前、スライディングキャッチをしようとして左手首付近を骨折。復帰を目指すも試合に出られないまま引退となり、とても悔しい思いをしました。「同じような境遇の人を助けたい」と柔道整復師を志し、東京柔専を受験しました。
痛みの深さや気持ちの面のつらさは、身をもって経験しています。「痛みを取り切ってほしい」「なるべく早く治したい」という患者さんの要望に応えられる柔道整復師を目指しています。

研修も勉強も真剣、目指すは一番!

高校卒業を機に自立しようと、一人暮らしを開始。学費は奨学金、夜間部を選択し生活費は昼に接骨院で研修をして、すべて自分でまかなっていました。その方が勉強も真剣になります。
先生は、国家試験はもちろん、臨床のことを常に意識して教えてくださるスペシャリストばかり。生徒も幅広い年齢層の人がいて、人生で一番苦労した経験談からお酒の注ぎ方まで(笑)いろいろ教えてもらえて、社会勉強にもなります。
野球部で培った努力・根性・負けず嫌いは、在学中も、卒業後の今でも活きています。現在は、東京柔専附属の杏文接骨院で勤務しながら、プロ野球選手のパーソナルトレーナーとして活動し、日々新たな発見をしています。

柔道整復師になるには努力が必要ですが、スポーツを頑張ってきた人なら向いていると思います。ただ資格を取るためではなく、人を救いたいという高い意識を持って来てほしいです。

バスケ選手からの転身

ケガの辛さを知り、人の温かさを知った 私も、誰かを支えられる人になりたい

60期生(2015年卒)
伊藤 友美さん

[出身]東京都
[尊敬する人]自分に無いものを持っているすべての人
[好きなスポーツ選手]大神雄子選手(バスケットボール)
[最終学歴]都立高校卒
[スポーツの最高実績]東京都ベスト16

ケガの多い中高時代を支えてくれた接骨院の先生

スポーツが好きで、小学生の頃はサッカー、野球、テニス。中学で友人に誘われてバスケットボールを始めました。しかし慢性的な腰痛に悩まされていて、キャプテンなのに試合に出場できないことも。高校では捻挫や膝の痛みがあり、ケガの多い選手でした。
そんな私を支えてくれたのが、小学生の時から通っていた接骨院の先生たち。試合に出られず落ち込んでいたときは、お茶やお菓子を出してくれて、「治るから大丈夫だよ」と温かい言葉をかけてくれました。先生たちの姿を見て、「私も将来は、誰かを支えられる人になりたい」と思うようになりました。

体も心もほぐせる柔道整復師になりたい

ケガをしている人は、体だけでなく心にも傷を負っていて、そのせいでケガが治りにくくなることもあります。体だけでなく、患者さんを理解し、共感して、心までほぐせる柔道整復師になりたいです。母校の部活に顔を出すとプレイではなく「骨」や「筋肉」に目がいってしまいます。後輩たちには私のようにケガで苦しむことのないよう、スポーツトレーナーとしてサポートし、また、多くの患者さんと関わり知識や経験をどんどん積んで、体も心もほぐせる柔道整復師になります。
そのためには確かな技術を身につけることが第一。一生勉強を続けていきたいと思います。

国家試験対策で泊まり込む3年生に豚汁を作る先生方の姿を見て、改めてこの学校の結びつきの強さを知りました。生徒も先生も、"熱"を持っている学校です。ぜひ期待して来てください!

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